近年、注目され始めてきたチリワイン。ここ数十年でワイン造りが始まり、急速に発展してきたというイメージを持つ方も少なくはありません。しかし、チリワインの歴史は古く、紆余曲折がありながら今の状態にまで辿り着いたのです。ここでは、チリワインの歴史について紹介していきます。
実はチリワインの歴史は長い
チリでワイン造りが始まったのは、なんと16世紀。スペインの征服者、そしてカトリック宣教師によってブドウの苗木が持ち込まれたのが始まりと言われています。
本来スペイン本国では当時、他国でのブドウ栽培、ワイン醸造は禁止されていたのですが、実際にその法律は守られておらず、チリでは広くブドウ栽培が広がりを見せて行きます。
その頃持ち込まれたのがミッション=パイスというブドウ品種であり、病害虫にも強く、育てやすい品種だったことも関係していると言われています。
現在、このパイス種を復興させようという生産者の動きも見られていますが、主には蒸留酒であるピスコの原材料として使われています。
19世紀にフランス系品種が導入されたり醸造専門家が渡来し一気に躍進
チリワインが本格的に動き始めるのは、1818年のスペインからの独立の年からです。国際品種であるフランス系のブドウ品種が導入されることとなり、それとともにフランスから醸造の専門家などが海を渡ってチリへ入ってきたことで、チリワインの在り方が大きく変わって行きました。
フランス系品種は、シルベストレ・オチャガビーアによってカベルネ・ソーヴィニヨン、メルローをはじめ、ソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネなど、フランスで栽培されている主要品種がほとんど持ち込まれたとされています。ちなみに、メルローは現在も主要品種として活用しています。
カルメネールという、メルローに関連する品種が主体として栽培されているのも面白いところです。また、19世紀初期にはボルドーで有名なロスチャイルドなど、チリに広大なワイナリーを造るなど、フランスから参入者が増加していきます。
ちょうど19世紀の頃は、フランスはフィロキセラ禍によって壊滅的な状況となっており、新天地への進出が試みられていた頃。チリに注目した醸造家やブドウ栽培家など、この地に渡って知識を伝来していった、というところもチリワインが発展していく大きな理由のひとつだったのです。
1938年に施行された新アルコール法などによってワイン作りが完全に停滞
国際品種の導入、本格的なワイン醸造技術の伝来。そして世界的な企業の進出など、チリのワイン造りは発展を遂げて行きます。
しかし、1938年。新アルコール法によって事態は急変します。
酒税の増税なども関係していましたが、このアルコール法によって新しいブドウの新植が完全に禁止されてしまいます。
チリには広大な土地があり、まだまだブドウを植える場所は多くありました。それでも、ブドウ栽培を続けている業者は多くいたのですが、第二次世界大戦がこの状況に拍車をかけます。
農業機械や醸造機械など、ブドウ栽培やワイン醸造にかかわる機器の輸入が実質的に禁止されたことで、技術進歩が進まず、さらにワイン造りは停滞していくのです。なんとこのアルコール法は、1974年まで30年以上続くことになります。これが、数十年前にチリワインの名を聞くことが無かった最大の理由と言えるでしょう。
1974年にアルコール法が撤廃されチリワインは息を吹き返す
さて、1974年にアルコール法が撤廃されると、チリワイン技術は遅れを取り戻すように急発展していきます。
しかし、ブドウ栽培地が拡大されていくその裏で、チリのワイン消費は減少の一途を辿っていき、結果的に価格の急速な下落が問題となりました。この品質低下の問題を解決するために、チリワインのブランド化を狙い、栽培方法や醸造方法を近代化していきます。
大手ワイナリーなどが率先して、品質が高く、価格が低めのワインを世界に輸出することを仕掛けます。大手のグループの傘下になって経営再建を図るワイナリーが出てくるなど、ワイナリーの建て直しがこの時期に多く起こります。安価なワインだけではなく、個性にこだわった品質のワインを造りたいというブティックワイナリーも増加。
次第に、チリワインの層が厚くなって行き、世界的に認められ始めることとなるのです。最新式のステンレスタンク、ワイン樽の正しい使用方法、ドリップ式灌漑システムなど、日に日にワイン品質が向上していきます。
2000年代に入ると、テーブルワインだけでなく、国際的なコンクールで受賞するワインなども増加。
輸入量、輸入金額が増加する一方、安価なワインというイメージを払拭するため、新たな生産者がチャレンジを続け、今また新しいチリワインの時代が始まりだしているのです。